ティムール朝の国制については不明なところが多く
現実にティムール以下歴代の君主が確固たる行政上の制度を定めたこともなかったと考えられる。特にティムールの時代には、ティムールの息子たち、腹心の部下たち、彼らに従う遊牧民たちが分封されてカリスマ的な軍事指導者であるティムールの権威に服していたため、ティムールの没後には容易に分裂に向かってしまうものであった。君主の支配を固める論理として、モンゴルの伝統とイスラムの伝統という二つの要素が存在したことは確かである。いまだモンゴル帝国の影響がよく残っていたティムールの時代にはモンゴルの伝統が特に強調され、ティムール朝の君主とは別に、チンギス・ハーンの血を引く王子たちの中から名目上のハンが擁立されるとともに、ティムール家の王子は名目上のハンやモグーリスタンのハンなどの様々なチンギス・ハーンの血を引く王家から王女を妻として迎え、ティムール家の君主はチンギス王家の娘婿にして最高位の将軍という立場から支配権の正統性を認めさせていた。
update:2009年09月11日
